2008年02月11日

前回のブログの補足

一つ前のブログの記事について。

あの文章のおおもとにある話は、実は聞いた話を参考にしていた。
というのも、この冬の旅で、一人の年配の女の人にあった。
そして、その人の話が大きく影響している。

その人と過ごした時間は短かったけれど、この陰と陽の話のほかにいくつか話を聞いた。
その中には、今後の自分が目指すべき道を示してくれるものもあって、本当に面白かった。
短時間の中でもいろいろ学ぶところがあり、これからもいろいろ教わりたいと連絡先を交換した。



しかし、一週間ほど前に、その人が亡くなった事を聞いた。
これから、その人からいろんな事が学べると楽しみにしていたのだが、こんな結果になって本当に残念で仕方がない。

他人から本当にいろいろな事を学べると、最近つくづく思う。
どの人も、なにか興味深いところを持っていて、あとはそれが引き出せるかどうかになってくるのかもしれん。

今回はとても残念だった。
そしてこのような事は、またいつかあるのだろうとも思う。
今回、運良く出会えて、話が聞けて、そして残された自分にできる事は、まず自分で考えて、そしてそれを他の人に伝える事だと思ったので、こうして遺しておくことにした。
posted by OJ at 15:41| Comment(3) | TrackBack(0) | 生涯の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月10日

インーヨウ

やっぱ、宗教が人に与えて来た影響ってとてつもないと思う。
個人が信じるとか、信じないかとかは別にして、何かしら国とか文化にいちど浸透し始めれば、そのまま多くの人が何らかの影響を受けていくんだと思う。


大きく分けて、やはり西洋はキリスト教、東洋は仏教の影響が大きいのだと思っている。
そしてそれが西洋人と東洋人のとても大きな違いを作っている。


両方の宗教に対する善悪に対する意見の違いをみてみると面白い。


西洋、キリスト教の目指すところは「完璧な善」かな。
善が純度100%ともいえる。
だから悪いといわれる行為はすべて「罪」とみなされるし、それは許されなければいけないものなのかもしれない。

キリストを見てもまったく当てはまると思う。
俺はバイブルの事はほとんど知らないけど、彼が何か悪い事をしたという記録はあっただろうか?
結局最後は、キリストは「人の罪」を償うために死んだ。
それほど、罪は悪いものなのだろう。
言い換えれば、罪の無い、悪いところの無いきれいなものが西洋における理想のような気がする。


それに比べると、東洋、仏教の考えってかなり違うなぁと思う。
陰陽の考え。そして今はそれにとても興味がある。
陰陽の教えでは、たしか良いこと、悪いこと両方を含みつつ、その中でバランスをとっていきましょうって考えやね。

いいところだけじゃなく、自分の悪いところも認めつつ、その中でそれにどう対応して生きるかって考えは、とても自然な気がする。
人間である以上、生きている限りいろいろな悪い事や、失敗をするわけで、それを憎むべき存在として否定してかかるのではなく、「それとともに生きていきましょう」って、人として一番目指していくべき方向じゃないかと。

キリスト教の話を聞いたときの不自然さというものは
案外ここから来ているのかもしれない。

仏教の教祖である釈迦だって、完璧な善ではなかったわけだし。
彼はどこかの一族の王子で、さんざん遊びほうけた後、いつかそれを失うのが怖い、年老いていくのが嫌だ、という苦悩から悟りの道をひらいていくきっかけになったわけで。


まあ取りあえず今回は、陰陽の考えが面白そうだということが書きたかった。自分の中にある悪い事は憎むべき、排除すべきだとは思わない。
問題は、それとどう向き合い、共存していくかってことやね。




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2008年01月22日

9・11

自分がどれほど「本当のこと」を知っているかについては、自信が無くなった。

今回は、有名な9・11のことについて、簡単にながら書く事にする。


この事件が起こったのは、自分が日本にいて、テレビを見ながら、とても大変なことが起こったと知った。報道によって、テロリズムという事が注目され、そしてアメリカを中東への攻撃、イラク戦争へと導いたという事を知った。

アメリカに来て、9・11はアメリカ人の愛国心に火をつけ、同時にテロに対する過度の恐怖を感じるきっかけであったということを知った。そしてそれがその後の政治においてとても大きな影響を与えている事を知った。

そこまでは、なんとなくそうなんだろうなと前から知っていた。



でも、あれからもう6年以上が経つ今年に入るまで、
あれは本当にテロの攻撃によるものだったのかという議論がなされている事を知らなかった。

もちろん、「イラク戦争が本当は石油のためだ。」という主張は聞いた事があったけれど、そんな程度。
そもそもの9・11の攻撃を疑うなんていうことは知らなかった。

今は自分としても調査中。
「あれはテロの攻撃ではない。」という主張をいきなりは受け入れるわけには行かないけれど、「あれはテロによるものだ。」という事をただ信じるのもよくない気がして来た。

いまは、まだリサーチを始めたばかりだけれど、それでも、
まずそもそも、「本当に飛行機はワールドトレードセンター、そしてペンタゴンにぶつかったのか?」なんていうことすらあやしくなっている。

ウィリアム・ロドリゲスという人物がいる。
彼は、ワールドトレードセンターで、最後まで人命救助をして、大統領からも賛辞を受けた人物なのだけれど、彼の証言では、
救助中に、奇妙な爆発音を飛行機が突っ込んだとされる階よりも50階したのあたりで聞いたとのこと。

そして彼はビルの中に仕掛けられた爆弾が破裂したのだと決断した。


事故後、さんざんマスコミで評価されていたにもかかわらず、この証言をした直後から、マスコミは彼をはずした。


真相は、まだ俺には分からん。
けど、こうして議論されているという事を知ってしまった以上、このまますんなりとは終われん。

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2008年01月17日

Jとの対話

"The history of human being is much bigger than we are taught."



俺がこれから書く事は、とてもクレージーだと分かっている。それでも、それがただのフィクションだとは思えない。



「この世界は、少数のあるグループの利益のために、コントロールされている。」

世界中のほとんどの人が知らないだけで、俺らは利用されて、ある人々の手の内で動き回っているにすぎない、とJは言った。

そしてそのあるグループはフリーメイソンであるかもしれない。

ある大人気の歌手、多くの人が知っている大企業、そして政府までもがその支配下にあるのだと考えている。
実際、多くのソースがジョージワシントンを含め、数多くの大統領がフリーメイソンだということを証明している。


もちろん、この考えは鵜呑みにするわけにはいかない。

何も知らずに、この考えに賛同するのは、とても危険だ。


それでももしそれが本当だったら、とても大変な事になる。

この話を聞いたときに、映画「マトリックス」の事を思い出した。
あれはただの映画ではなく、現実である可能性がある。


もしそれが真実であれば、今享受しているこの生活は、実は作られたものであり、その中で、自分は動き回っていることになる。


真相はまったくわから無い。もちろん、ただの妄想である可能性も十分にある。

けれど、これを知ってしまった以上、もう無視してはいられない。

今からリサーチを開始することにする。
posted by OJ at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 生涯の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月19日

同和問題1 「入門 部落問題一問一答」

同和問題、いわゆる日本における差別問題である。

世界における人種差別。
たとえばアメリカにおける黒人差別。
それは、良くないことではあるけれども多くの人々からの理解があった。それは白人ー黒人という肌の色の違いがあったから。

しかし日本における「えた、ひにん」に対する差別については、なかなか世界の人々は理解しにくかった。それは差別する側とされる側の間になんの外見的違いがないからである。
そしてそれゆえに、日本における差別問題を「同和問題」ということが多い。

最近になって、間接的にはあるけれど、この問題について考えさせられる状況にあった。
今まで、日本での「えた、ひにん」に関しての差別なんかはとっくになくなってしまったと考えていたけど、実はそれは幻想であった。現在でも、まだ日本人の中にこの問題は、時に非常に大きく、根付いているのである。
その事は体験とともに、本で調べていくうちに少しずつ自分の中で明らかになってきている。

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2007年02月08日

疑惑1 「なぜ加害を語るのか」

日本人兵士はなぜ自分たちの戦時中の罪を語ったのか?
戦争が終わり、戦時を振り返って自責にかられるということは想像できる。
ただし、本当にそれだけだったのだろうか?

この本では戦争が終わった後、シベリアから中国へと送られていった兵士について書かれている。
シベリアでの生活に比べ、彼らの中国での生活は捕虜という身分でありながらもたいそう良かったとのことである。

彼らが自分たちの罪を語った理由として2つ挙げられている。

一つ目は、中国での生活の中で、部隊ごとの反省会をしたということ。
そこでの話し合いによって、戦時中の加害行為を隠し続けることが困難だと判断したらしい。

二つ目として、中国での彼らに対する対応があまりに良かったからということ。
彼らは、中国では戦犯といえども人権がみとめられているととても感激したそうである。
まず、中国人のスタッフから手厚い看護を受けていたようだ。
この本によると、当時中国で手に入りにくかったというペニシリンを日本兵には使っていた。
そして、中国人のスタッフがコーリャンを主食としている横で、日本人戦犯には白米が提供されていたらしい。

戦後6年間の中国生活の後、彼らは中国帰還者連絡会をつくり、日本兵による戦時中の中国人への罪を語り始めたのである。



ここまで読んで、あなたはどう思うだろうか?
確かに、これは事実なのかもしれない。
ただ、これは僕の憶測でしかないけれど、どうも腑に落ちない。
戦犯である捕虜にたいして、現地の人よりもはるかに良い待遇をしているのはただの人権保護のためだけなのか?
そこに何の意図も無かったといのだろうか?
まして、日本兵による南京大虐殺や多数の虐待が本当にあったとするならば、更に疑惑は深まるばかりだ。




posted by OJ at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 生涯の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

慰安婦問題1 「朝日新聞の正義」

「朝日新聞の正義」

この本では、戦後日本の自虐史観を作り上げたものとして、朝日新聞を挙げている。
著者の小林よしのり氏は近年、戦後の日本人が教わってきた太平洋戦争のイメージから180度違う意見を主張している。
そのため過激な発言も多く、聞くにはおもしろいが、彼の主張をそのまま事実としてまるのみするのはいささか危険であるように思える。
ただし、これが証明できればおもしろい。
いままで教えられてきた戦争にかんしての記述はまったく嘘だということになる。

これからもかれの著書について書くことも多いだろうが、気をつけて読んでいただきたい。


この本の中でも、一番の注目点は「慰安婦問題」についてである。

現代のイメージとしては、ニュースや新聞で出ているように、旧日本軍が強制的に韓国、中国人女性を
日本軍の性奴隷として連れて行ったというものだろうか。
嫌がるのにも関わらず、日本軍は旧植民地だった韓国、満州国での横行。
テレビでは、いかに日本軍兵士にひどい扱いをされたかということが、数多くのインタビューで流されている。
韓国側は日本に謝罪を要求している。


そもそもこの慰安婦問題のことの発端は、韓国側ではなく、日本にあった。
1992年5月、朝日新聞での旧日本軍兵士である吉田清治さんの証言による。
そこからこれがこのような大きな問題へと発展したのである。

しかし、後の調べで彼の証言は証拠が無く、嘘であるということが判明。
この慰安婦問題では、
「日本軍が現地の女性を強制連行したのか?」ということが非常に重要になってくる。
というのも、もし現地の女性が、その当時の生活があまりに苦しく、自発的に賃金の代償として慰安婦になったならば問題が変わってくるからである。
もしくは、過去日本でもあったように(映画Memoiyar of Geisya)、一家の生活が苦しく、父親が娘を売ったという可能性もある。
著者の二人は、「慰安婦がいた」ということは認めている。
ただし、それらの人々が強制的に連れて行かれたかということについては疑問なのである。
そしてそれについての証拠はいまだ無く、したがってこの問題はおかしいということを主張している。


これらの記述は、多くの日本人がもっている戦争のイメージとはまったく違う。
今まで、なんとなくニュースを見て、その真偽をたしかめないでなんとなく受け取ってきたけれど、じつはそれは真実ではないかもしれない。


[タイトル] 朝日新聞の正義―対論 戦後日本を惑わしたメディアの責任
[著者] 小林 よしのり井沢 元彦
[種類] 文庫
[発売日] 1999..

posted by OJ at 12:47| Comment(4) | TrackBack(0) | 生涯の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月30日

生涯の仕事

今、自分の生涯をかけてやらなければいけない課題というものに向き合っている。
それは日本の戦争についての清算である。
誰から言われたわけではないのだけれど、一年ほど前から徐々にこのことについて自分なりに答えを出しておきたいと考えるようになった。

僕らがそれができる最後の世代だと強く思う。
それは実際に戦争を体験した人が自分たちの祖父母世代であり、
その「戦争の時代に生きた人」と直に触れ合うことが、今はまだ可能だからである。
今後、人々は太平洋戦争に関して、誰かを仲介して教わることになるだろう。
それでは、駄目なのだ。
仲介されていく過程の中で、事実は曲げられ、操作されるからである。
戦争が終わってからもう60年以上が経つ。
だから、僕らが最後の世代なのだと思う。
そして、そういった意味で、こうして太平洋戦争に関しての考えをまとめていくのは僕らの一種の責任のようにも感じている。

そういうことから、自分にとっては、今こうして始めるのである。
今はかなりのまとまった時間がとれ、
また、運良く、今はまだ祖母が元気なので、そのことからも今の時期がこうしてリサーチを始めるには適切な期間であるようにも思う。

近年、もう多くの人々が、太平洋戦争時の日本について負のイメージしかもっていないというのが現状ではなかろうか。
そして少数派として、そうではなかったのではないかと反論している人がいるように思えるのである。
「日本の論点2007」の引用で、

「昭和の戦争に関しては、、、二つの考えが対立してきた。
 植民地支配によって多くの国々に損害を与えた侵略戦争だったとする考え方と、
 欧米の植民地支配から東亜諸民族の独立を足す得た解放戦争であり、かつまた石油禁輸などの経済封鎖により国家としての生存を脅かされた日本の自存自衛の戦争であったとする考え方である。」 (p241)

ここで、僕は後者の立場から立って、この作業を始めたいと思う。
多くの人たちが、日本の責任を主張する中で、ただ盲目的にその主張を受け入れる気にはなれない。
自分たちの祖父母世代が命を懸けて戦ったことについて、ただそれは間違いでしたとだけは言えないのである。
これは確かにただの感情論であるのかもしれないのだけれど、それでも自分たちの祖先の行いを正当化したいと願うのである。
そうして調べていくうちに、それが正しいかどうかはおのずと分かっていくことだろう。

そのためには戦前、戦時中、戦後について数多くのことを調べ、勉強していかなければいけないことだろう。
その途中に分かったこと、考えたことなどをこれから少しずつ述べていくことになるだろう。
今はまったく知識が無い状態だ。
だからこれから間違ったこと、突拍子もないことを綴ることも多くあるだろうが、そのあたりは忠告していただきたい。

それでは始めることにする。



posted by OJ at 22:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 生涯の仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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