2006年11月15日

商売の秘訣(kataru 3)

これはいつごろからか分からんけど、いきなり思いついて、それ以降頭から離れんようになった考え方。

それは、「何か(その人の作品なりなんなり)を他人に見せたいという人に、そういった場をうまく提供することができれば利益がある」ってこと。

この場合の「利益がある」っていうのは単にお金とか物とかを言っているというよりは、「なんかいいことがある」みたいな感じの意味で。

最近、専門知識がなくてもいろいろできるようになったやんか。そうして出来たものってゆうのはやっぱ人間、他の人に見て欲しい、レスポンスが欲しいってゆう人は少なからずおると思うで。
また、見るほうに関しても、もしそれがInterestingな物、もしくはInterestingな方法で見せてくれるものであれば、見たくなると思うんよなー。

そしてそんな能力はこれからの時代、めっちゃ使えるんとちゃうかなーって気がしとる。これを学べるかもって考えたりしながら、最近ホームページ作りの作業してます。
posted by OJ at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | kataru | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月27日

kataru 2.3 (SPKのコメントに対して)

次は、「動く」ってことについて。

俺はやっぱり人には、周りに対していろいろ考慮したうえで、自分が正しいと思えることに対して動いてほしいなぁ。少なくとも、こうやって俺の書いた文章を見てくれてる人には。

少し前に書いたことがあるんやけど、人ってやっぱり「自分が何とかせな」って思わんかぎりなかなか動かんもんやと思うんよな。ただ、その意識があればすごいことができるとも思うんよ。

それで、何か「動く」わけよ。そうしたら、その「動き」のせいで世界が変わるんよな。その「動き」によって「自分以外」に与える影響の大小の差はあるけど、何かしら影響を与えて、「動く」前後で世界が変わるんよ。ここで俺が言ってる「世界が変わる」っていうのはそんな大きな変化だけを指しとるんちゃうで。人が「自分以外」に与える影響はどんな小さな事だって、すべて「世界を変える」っていう意味よ。

たとえば挨拶をするやろ。そうしたらその挨拶された人は、その挨拶によって気持ちがよくなったり、悪くなったり。どういった影響が起きるかはその状況次第。挨拶なんていう小さい「動き」が与える影響なんてめっちゃ小さいもんかもしれんけど、それでも世界はなんか変わるんよな。もちろん「何もしない」っていう「動き方」もあるけど、何か動いたほうがその影響は大きいと思うよ。

「自分の動いたこと」が「世界を変える」、「他人に影響を及ぼす」。これが人が生きる意味じゃないやろか?

例えば、SPKが反論してきたやろ。それに対して俺がこうやって答えを書く。これはSPKの行動が俺に影響した。つまり「世界を変えた」ってことになると思うんよね。もし質問されんかったら、俺がこうやって答えることは無いし。そして「あの質問が出せるってこと」=「SPKの個性」ってことよ。違う人がまったく同じ言葉で同じ質問をするってことはあり得んのちゃう?そういう意味で「動き」は「個性」の大切な出し方の一つやと思うよ。しかもそれが「生きる」意味でもある。

これが今の俺が考えかたなんよ。SPKの書いたとおり、俺はめっちゃ偏った考えをしとると思うよ。まあそれも、それが今の俺の「力量」なわけで。
posted by OJ at 04:21| Comment(1) | TrackBack(0) | kataru | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

kataru 2.2 (SPKのコメントに対して)

SPK,コメントありがとう。

どうも俺の書く文章は往々として、いろいろな物事を中途半端に入る癖があるみたいで、そのせいで言葉が足りんかったり、よく分からんかったりするみたいなんよ。そういった意味でも、こうやってコメント、質問をくれることでもっとはっきりさせることができるから、本当にありがたい。反論なんてもっと面白くなってきた。今回はわざと、コメント欄じゃなくて、本文に質問の答えを載せることにしたよ。しかも、分かりやすいように2つに分けることにした。


SPKの指摘の通り、自分の思う「正しい」ってことに突っ走るあまり周りが見えないってことは十分にあると思うんよな。それこそ、それは全てにおいて言えると思うよ。生きていく上で何が見えて、何が見えてないなんて。この世界、全ての出来事はつながっとると思うんよな、見える見えないは人それぞれで。例えば、何人の人が「風が吹いた」っていう後ろにある「桶屋が儲かる」っていう事実を見られる人がおるんかなぁ。

俺が思うには、良くも悪くも、「何が見えるか」っていうのは、その人の力量次第やと思うんよな。もし、「何かの問題が見えていて、その後ろにある人たちは見えていない」としたら、その人はそこまでの力量の人やったっていうだけ。人間は他人の力量には手を出したくても出されんのちゃうやろうか。まあ援助はできるけど。

そのいい例が、俺とSPKのやり取りやわな。俺は自分の思ったことをブログに書いたんよ。人がそれを見て、どんな印象を受けるかってことを十分にはわからずに。これが今の俺の「力量」なんよ。それを見てSPKは「あれ?」っと思ったからこうやって反論をくれたわけやろ?それを見て俺がその答えを書く。そうして他の人は、俺の書いたことについてもう少しは分かりやすく読める可能性ができた。これは俺の「力量」に対してのSPKの「援助」ってことやわな。


posted by OJ at 04:19| Comment(0) | TrackBack(0) | kataru | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月26日

kataru 2

あなたしかおらんと思うんよ。


今までなんやかんやで人に頼ってきた節っていうのがあると思うんよ。いやぁ、もちろん俺にもいっぱいあるねんけどな。ここでは「人に頼る」と「人に助けを求める」とは違うんやけどな。まあ、人に頼れば楽やと思うで。結局はどっかで人のせいに出来るしなぁ。でも、自分を賭けて頑張っとる奴はやっぱいいもんやで。そういう人に人は惹かれるんやろうなぁ。
そもそも、やっぱ一人一人全く違うもんやで。感じ方、考え方、もう全てにおいて。そやから、その今あなたが感じたり、考えたことを外に出さへんっていうのはすっごいもったいない気がするんよな。そこで周りがどうこうとか、やらへん理由なんかなんぼでも立てられるんやけどな。結局、自分ではわかっとるわけよ。やらへんのは自分がやろうとしてないからやって。
実際に動いてみ。そしたら意外と簡単やった、ってことはなんぼでもあるとおもうんよなぁ。もしくは自分を賭けて動いたら、そう簡単には引き下がれんようになって、必死になって頑張ろうとする。そんなところに成長ってもんはあるんとちゃうかなぁ。
さっき、人によって感じ方も考え方も違うって書いたやろ。どんな問題にしてもそうや。なんかここがおかしい、気に入らん、みたいに感じたらそこがポイントやわ。それがどうにかならんかなぁって他の人を頼っとる暇はないわな。その問題の存在に気づけたこと自体がまずすごいわな。それでその問題に対して、取り組めるのはあなたしかおらんと思うよ。なんか嫌やなぁって思うことに関してもそうやわな。それを何とかできるんはあなたしかおらんのよ。
posted by OJ at 10:20| Comment(4) | TrackBack(0) | kataru | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月20日

kataru 1

周りの環境が人に及ぼす影響っていうのはけっこう大きいんちゃう、たぶん。

例えば、サマータイムってあるやろ。夏季に時間を一時間早めて、消費電力を少しでも少なくするってゆうやつ。たしか、少し前までは北海道で試験的に実施されとった気がするんやけど、今はどうなんかなぁ?まだ日本を含めいろいろな国では実施するかどうかを議論しとるはず。
時間を一時間早めるっていう話やろ。なかなか日本では受け入れにくいと思うで。だって日本では一つの標準時しかないから。アメリカとかやったら4つも標準時があるからさ、ちょっと旅行しただけで、「ああ時計の時間を早めなあかん」みたいなことがしょっちゅう起こるんよな。サマータイムがどうかっていう議論のときには、その感覚の違いはけっこう大きいと思うよ。

ただ、今回一番いいたいのは言葉についてなんよ。まだまだ英語が完璧にはしゃべれんってこともあってね。いやぁ、なんやかんやで英語はしゃべっとるんよ。ただ、どっかでつっかえたり、日本人特有のアクセントが入ってもたり。たぶん、明らかに英語は第二言語です、ってことがネイティブにはすぐ感ずかれとるんやろうなって思うんよ。ただ、とても大切なのは、それでもある程度は英語でコミュニケーションはできるし、自分がネイティブに比べてアホかといえばそれは一概には言えないってこと。それはどの程度かは知らんけど、アメリカ人も分かっとると思うよ。だってだいたいのアメリカ人はその人の人生の中でなにかしら英語が下手な人と付き合っていくことが多いから。アメリカは移民の国やし、今でも多くの人がアメリカに渡って来とるし。

さて、ここで日本での話。俺らさぁ、あんまり日本語の下手な人と付き合ったことないよなぁ。日本語が第二言語っていう意味で。たまに聞くって言ったらあれやろ。テレビで変な感じの外国人がミョウなアクセント交じりで日本語しゃべって、面白いなぁっていう。コメディーとかばっかしやもんなぁ、そういう人が出てくるんは。実際、俺も片言の日本語で誰かが真面目にいろいろ話するなんかあんまり記憶にないなぁ。たぶん、日本語がへたな人と付き合うことをあまりにもしてこなかったぶん、大半の日本人の意識の中に「正しくないアクセント = 変わった人、もしくは自分達よりも下な人(だからこそ、彼らを笑う)」みたいなもんができたんちゃうかなぁって思うんよ。
ちなみに、今でも日本では海外に留学したって言ったら「すげーなぁ」ってなるやろ。でもそんな「すげー」人は留学先では、変なアクセントを使う「笑うべき存在」な訳よ。今の日本人の文化から見ればね。これは矛盾やわなー。さらに言えば、まだそんな考えでいる限り日本の国際化なんてまだまだ先なんやろうな。英語が日本で公用語にならん限りはさ。

さて、最後に英語に対する意識についてすこしだけ。俺が今まであってきた留学生の中には、いかに英語をアメリカ人っぽくしゃべるか、ってことを頑張っとる人がいくらかおったんよな。それはすげぇことやで。俺ももっと流暢にしゃべりたいし。ただ、そのことを頑張るのはすごいんやけど、そのために英語がうまい(ネイティブ、もしくは留学生だがネイティブに近い発音で話せる)人とだけ交流を持つんは勿体ないで。めっちゃ強いアクセントで、英語を話しとるはずやのに英語に聞こえない人ってゆうのはいっぱいおるよな。俺が思うに、これからはそんな人とも話していかなあかん。俺らは「ネパール語は分からないんで、英語を話してください」とは頼めても、「あなたの英語は分からないんで、きれいな英語を話してください」とは頼むことはできんもんなぁ。そんな強いアクセントまみれの英語を理解できるっていうのは、大切な一つの能力やと思うで。そういう人達とコミュニケーションを図れるっていうのは必要ではないかもしれんけど、今後めっちゃ役に立ってくると思うんよ。それに現在のアメリカの大学院生の7,8割が留学生っていう現状からみても、役に立たないとは言われんはず。最後にまとめて言うなら、きれいなものも汚いものも両方得たほうが良いってことかな。 
posted by OJ at 01:18| Comment(3) | TrackBack(0) | kataru | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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