2006年02月19日

「考える」課題募集

今日、なんとなく過ごしていた時間に思いついた。

今まで、自分が考えたことについてこうやってブログで述べてきたわけだけれど、

そのお題について人から募集してみるのはどうかな、と。


これについては狙いが二つ。

一つ目は、好奇心。今までこうした「募集」をかけたブログを僕は見たことが無いので、

こういったことをしたらどういう反応がかえるのかを見てみたい。


もう一つは、こうすることで今までの自分には無かった考える機会が、

自分の内ではなく、外からくるということで、

また一つ成長の糧になるのではと思っているのです。

そういった意味での募集です。
posted by OJ at 19:08| Comment(5) | TrackBack(0) | トイタイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月29日

宗教について

今日は少し宗教について考えてみた。

「何かを信じる」ということが根本で、それが強くなって、

そして独自の世界観を作り上げたものが「宗教」という考えだと思う。

また、その考えにおいて、数多くの賛同者を作り上げたものが

さらに独自の世界観を強固にさせていくのだと思う。

外部に及ぼす影響も強くなるだろうし。

そのためには多くの人の共感を得ることが必要なのだろうと思う。


キリスト教は、「汝の罪を認めよ。そうすれば救われる。」と説き、

多くの人は、「ただ罪を認めるだけでいい」という、

身分や財産などが一切関係無く、信じるだけで救われるという敷居の低さから

人々の共感をよんだとも言えるのではないかと思われる。


そこで考えた。

ここで、「その人が人生の中で何をしようとも、必ず全員救われる」

という基本理念をもった宗教を作ればどうなるのか?

こんな理念を持った宗教がいままで存在していたかは知らない。

確かに敷居はもっとも低い。だって何も指定はないのだから。

何をしていたとしても、その人は救われるのだ。

この敷居の低さや、都合の良さからこの宗教は多くの信者を生むのだろうか?

もしくは人は例え罪を認めるか認めないかといった小さな差でも

(これは自分だけの問題であり、「認める」と決めるにしてもそれほど大変では無いような

気がする)、その「信者」と「そうでない人」が分けられるくらいのラインが引かれている

ものにこそ惹かれるのだろうか?

もしそうならば、人は「人類全体が幸せになればいいのに」という考えよりは、

「できるだけ多くの人類が幸せになればいいのだけれど、ただこれだけは守れよ。

俺はしているから。」

みたいな、どこかで自分の行動を肯定するために、そうではない人との対比を

必要とし、そこになんらかの幸せを感じる生き物なのかなぁ?





posted by OJ at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | トイタイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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