2009年12月07日

脳コスト、考察

「社会が、人々に考える事をやめるように要求する。」
これは、当然のことだともいえる。というのも、社会とは、人々が暮らしやすいようにするものだからだ。
もちろん、社会に属する事で大変な事はあるのだけれど、その代わりに社会保障などのすみやすさのサービスの提供であったり、効率よく動くためにある暗黙のルールを共有することもできる。


ただ、ここからがおもしろいのだけれど、この今の社会では、そういったすみやすさの提供という目的以外に、もうひとつ「社会が人々に考える事をやめるようにしむけている理由」があるように思える。
それは、社会に存在するある一部の利益のために、「社会にいる他人を盲目に、そしてバカでい続けさせるもの」である。

本当は、この世界に、問題なんていくらでもある。もう現在進行形であったり、もう手遅れになりかけの問題なんてものも数多くある。でも社会はそれをうまーく隠そうとしているんではないかと考え始めた。


この社会の中にはたくさんの「人々をバカでい続けさせる装置」がうまく設置されているように思える。その中でも特に今僕が注目しているのは、「経済」と「愛」である。

<続く>
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2008年08月10日

光文社古典新約文庫

っていう文庫のシリーズがあるねんけど、これがめっちゃいい。
会う人ごとに、この文庫がいいねんよーって、薦めることにしている。

コンセプトは、世界の古典を現代の言葉でわかりやすく訳してある。


この文庫を見つける前から古典とかを読んだりはしていたけど、古めかしい言葉を使っていて、読みにくい。
もちろん厳かな感じで、古典を読んだっていう気分にはなれるんやけど、中身を理解する前に、文体に慣れるまでに時間かかるし。

あと古典って言っても、数が多すぎてどっから手をつけるかにも苦労するし。


そんな時にこの文庫が発売されたんよ。
来月でちょうど2周年っていうくらいめっちゃ新しい。

だから有名な古典の作品の中でも特に厳選されたタイトルがならんどるんよ。例えばトルストイとかカフカとか。
それでもいろんな人をカバーしていて、ジャンルも小説から論文までさまざま。

読みやすいけど、内容はめっちゃしっかりしとる。
是非一度読んでみたら面白い。読みやすいからこそ、そのおもしろさを発見しやすいってのもあるやろうけど。


例えば、お勧めはシェークスピアかな。
めっちゃ有名やけど、それまでほとんど知らんかった。本も薄いし、って事で買ってみたらわかりやすくて面白い。
これを機会に、「ブルータス、お前もか!」っていうめっちゃ有名なセリフが入っている「ジュリウスシーザー」を読むのもええかもしれん。


あとは、ワイルドの「ドリアングレイの肖像」ってのが面白かった。
ドリアンはめっちゃ綺麗な顔のままで、その肖像画がだんだん汚くなっていくって話。それによると人がやったことはすべてその人の顔に刻まれるって。

この文庫のもう一つの特徴として、今まで日本語に訳されてなかった本を訳すっていうのがあるんよ。
まあ、とにかくいい。


もし誰か、興味があって本を読んでみたら教えて欲しいな。
俺も家族から送ってもらったり、友達に頼んだりして、この文庫シリーズをけっこう読むようにしとるから、本について誰かと話せたらめっちゃ楽しそうや。


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2008年08月04日

文句を言われる、嫌がられる

ディスカッショングループALIを始めてもう半年がたつ。
ALIについて何か文句を言われているかもしれん。

こないだからポッドキャスティングを作り始めた。
それを聞いた人に、「なんや、これ」みたいな感じで嫌がられているかもしれん。
まだ幸い、そのことは俺は聞いていないけれど。


でも、YOUTUBEに関して、俺が誰かに嫌がられるって事はないんよ。だってYOUTUBE関連のことは何にもしれないから。

きっとネパールの首都カタマンドゥにいる人で俺の文句を言っている人はいないと思う。だって行った事ないし。

ALIやポッドキャスティングをしたことで、俺を嫌がる人の数は増えたのかもしれん。気に入ってくれた人も増えたのかもしれん。


でも、そんないろいろな活動をして思ったのは、きっと何にもやらないでおけば、人から文句を言われる事も、嫌がられることもないなって。

やっぱゴシップとか面白いから、他の人がたとえば芸能人とかについて文句を言う事がある。彼らが言ったことに目くじらたてることもある。

でも、それってきっと彼らがなにかを他人に見えるところでしとるからなんやろうって。

たぶん、田中真紀子さんにくらべて、群馬県熊谷に住んでいる坂本太一郎さんを嫌がっている人の数は少ないんよね。たぶん。



まあ、結局何が言いたいかというと、なんかしたら他人に嫌がられることもあるわ、ってこと。
でも、その嫌がられるとかいうその前提で、何かを他人に見える形でしたっていうのがあると思うんよ。そうして始めて他人からいいも悪いも評価を受けるっていうんかな。

なにかと物事や企画をようやるわ、って言われる。気に入られるのも、気に入られないのも、何かをやったから起こってくるんやなって思ったら、やりたいことをやれるようになった。
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2008年06月01日

星野リゾート

またPODCASTで得た情報で、
星野リゾートってゆう観光産業のおもしろい会社を発見したんよ。

この会社は何がおもしろいかっていうと、日本の地方に着目して、
日本の地方を目当てにする外国人観光客を増やそうって頑張っている会社らしい。

そもそも、日本に来る外国人観光客の数は年間7ー800万。
世界一流の観光大国とされているフランスには3000万人が一年に訪れるというから、
それに比べたらまだまだらしい。
しかも、日本人は外国へ観光旅行するのが好きで、年間に1,200万人くらいの人が海外に行っているようで、簡単に見て年間500万人くらいの「観光赤字」みたいなもんかな。

ただ、星野リゾートは、日本には外国人を年に3000万人呼べるくらいのポテンシャルがあるという。
それが、日本の地方の文化ってわけ。

それこそ、日本の地方には温泉があって、伝統の文化があって、「それこそ日本!」みたいなものが多くあるというのは頷ける。


日本の地方が今まで、正しく評価されていなかった原因は、地方の観光業界にあるという。
というのも、いままでは、いかに東京から人を持ってくるか、ということばかり念頭にあったみたい。
それで、いかに海外からお客をもってくるかということに全く関心が無かったということ。


そこで星野リゾートがしたことは、
ホテルを海外の人でも使いやすいようにしたり、食事を各部屋に配るスタイルからダイニングホールへと来てもらうというシステムの移行、また社員教育をして誰でも意見を言える環境をつくったりとかでいろいろなことをしているそうだが、
俺が一番面白いと思ったのは、従業員の仕事を専門に特化していたのを止めて、生産性をあげたことだった。

話によると、どこかの旅館では、ビールの栓抜きだけをする人とかいたらしい。
それは極端な例やけど、それ以外にもタオルの補充の専門とかもいた。

それをひとりひとりの従業員がすべてのことをする事によって、客のニーズなどが分かり、いろいろな創意工夫というのがしやすくなったらしい。


この、「工夫してやろう」っていう姿勢が大切なんやろうなぁと思っている。
自分のサービスの向上を考えている姿勢っていうんかな。

これは、そのぶん対価がもらえるっていうときにも働くみたいやけれど。
それいい例がチップやと思う。

アメリカはチップ制度で、決してチップをもらいながらもサービスはいいと思えんけど、それでも多くのチップを稼ぐために頑張っている人とかもおる。
いかに多くのチップをもらうためにどう客によろこんでもらうかっていうことを考える。
そして働く。
そうすることで、生産性もあがっていくように思う。

そういえば、有名な経営コンサルタントの大前研一も、言っとった。
学生の時に、外国人相手にツアーガイドをやっとって、
そこでどうやってチップを稼ぐかということで、彼はそのツアーでまわるところの情報をめっちゃ勉強して、いかにその得た情報を面白く伝えるかという事を工夫したらしい。


星野リゾートは、今までのシステムを壊して、
従業員が彼らの仕事に対して、それを工夫しやすいという環境を作ったというところが一番の功績なんかなと思った。そしてそうする事で仕事の生産性を飛躍的にあげることにつながったようだ。


日本の地方を盛り上げる。
それはもっともっと日本を日本内外の人に伝えるという事にもなるやろうし、
日本経済の活性化にもつながるだろう。

日本が好きな自分にとっては、この会社にめっちゃ頑張って欲しいなぁと思う。
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2008年05月17日

ブログ

今日、メールを受け取った。

それは、
「一月のブログに書いてあったけど、」
という文章で始まっていた。

その子とは、もうずいぶん長い間連絡を取っていなかった。
もう一年くらいになるかなぁ。

それでもブログをとおして近況を知りあう。

日本を離れて3年。
その間にいろいろな事があった。
物理的な距離があったということもあり、それほど連絡を取り合えたわけではなかった。

それでも時々はブログを書いた。
そしてそれに反応してくれる友達。特に頻繁には会えないけれど、ネットをとおして交友関係が繋がっていた人からの反応が嬉しかった。

4ヶ月に書いた事。
それはこの春で卒業するということ。


明日が卒業式があります。
なんかその場その場でやる事をやって、気づけばもう明日。
もう終わりかぁ。

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2008年05月10日

ゲームのバイオレンスから

昨日めっちゃ久しぶりにブログを書いた。
2ヶ月ぶりに書いたことがなんで「アスベスト問題」かということは自分でもよく分かってないけど、文章を書き始めるきっかけになったのでそれはそれでいい。

今日のテーマは「ゲームが与える暴力的な影響について」

今晩のディスカッショングループで話をしたついでに脇で考えたことを述べる。


「暴力的なゲームが増えたせいで、子供達を中心に悪影響を与えている」という事を最近よく聞く。

昔のファミコン時代に比べて、ゲーム自体がとてもリアルになったことが原因の一つ。かなりリアルなせいで、現実世界との違いが分かりにくくなっている。

もう一つの原因は、最近凶悪な事件が増えたこと。少し前にもアメリカの大学内で銃乱射事件というのが数件あった。


本当にゲームが人(特に青少年)に与える悪影響をニュースなどでよく聞く。

ただ、そういった報道を聞いていて感じることがひとつ。

なんか、何かの事件を「ゲームが悪い」というネガティブな意見を付け加えることによって、そう主張している人が「何か考えてますよ」という、ちょっと知識的な印象を与えているということ。

ゲームの報道の中には、たいがいゲーマーと呼ばれる人も出てきて、何か言うけれど、そういった人たちは「何も考えず、ただゲームを楽しんでいる」というちょっと駄目な印象もしくはイメージが作られてきているように思う。


これはもうほぼ携帯が必須アイテムになった現代の中で、携帯の悪影響を危惧する大人と、あほみたいにメールを楽しんでいる女子高生との区別のされ方と似ているかもしれん。

とりあえずこの記事で言いたかったのは、
ゲームのバイオレンスというのはあるかもしれんけど、「なにかネガティブなことを言う人はちょっとすごい」みたいな考えは当たってないかもしれん。
何かをして楽しめるという事はすごいことで、それはそれで尊敬する。


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2008年03月25日

60歳の

きっと今日本に必要なのは、過度の幸福感やと思う。
ただでさえ、不安がいっぱいの現在で、しかも遠慮、謙遜するという国民性を考慮すると、きっと過度の幸福感をめざすくらいがきっといい。

日本ではシニアという世代が、とても大切な時期に来ていると思う。
なぜかははっきりしないけど、きっとそうだ。
みんなが今自分は幸せだと思えば、きっと日本は変わる。



そうして調べ物をしているうちに、一つのサイトを発見した。
「60歳のラブレター」
http://www.sumitomotrust.co.jp/about-us/love/gold-prize.html

数ある中でも気に入った一つを引用させてもらう事にする。


金賞 藤野 弘子 (ふじの ひろこ) 様 [埼玉県 61歳]

結婚して35年間 、毎日ドアの開く音と「ただいま」の声。結婚当初から同居のお義母さんが「おかえり」。
台所で立っている私の「おかえりなさい」の声はお義母さんの声でかきけされとても淋しい思いをしていたのよ。
その後は長男、 長女 、二女と3人の子供に恵まれ「おかえりなさい」の私の声はますます遠く 、貴方まで届かなくなりましたネ。
でも今から5年前の秋の日 、突然 お義母さんが逝き、 子供達も それぞれ自分の道を歩き出し、 先日 末っ子の二女が嫁ぎ、 初めて2人きりになった夜の事覚えていますか?
「ただいま」貴方の声。
大きな声で「おかえりなさい」と私。
「そんな大声を出さなくてもずっと聞こえていたよ、おまえの『おかえりなさい』」「………」
胸がジーンとして涙が溢れました。有がとう嬉しかったよ。




(補足)
そのホームページのほかの文章を見たら感じるかもしれんけれど、きっと日本の幸せっていうのは暗さがあるように思う。
暗さの中にほのかに明るい。
きっとそのぼんやりとした明るさがいいと日本人は思えるんやろう。
めっちゃ明るい光じゃない。けどそこがいい。
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2008年03月24日

平和ボケ

「平和ボケ」

別に最近流行ではないけど、時々聞く。
少し前に聞いたという思いでもある。

「最近の日本人は平和ボケしすぎて、だめだ」とか。
いつもネガティブな時に使われて気がする。


ただ、その事を最近思い返して、実は「平和ボケ=駄目」という安易なイメージを考え直してみようと思い始めた。



俺は、自分達の祖先が、命を賭して戦争を戦った事に本当に感謝している。
軍部に強制されたという話が本当かどうかはおいといたとしても、彼らが特攻隊のようなかたちで自分の命をなげうってでも戦い抜いたのは、確実に愛する人のためであり、その子供達のためであったということは間違いないと思う。
「どうか自分達の子供達の代には、こうして命を懸けなくてすむような平和な時代が訪れますように。」そうやって死んでいった兵士は少なくないと思う。


そうして今、自分達が生きている。
いろいろな問題はありこそすれ、第二次世界大戦以降、日本人は命をかけて戦場で戦う事は無くなった。

これこそ、あの戦争で無くなった多くの兵士が命を懸けて望んだ事ではなかったか?

もちろん、生き方という意味でこれから考えていかなければいけないことはたくさんある。でも、このことを考えると、現在の日本の「平和ボケ」というのは、単純に蔑んでつかえるものでは無いと感じる。
きっと、感謝するべきで、もっと重いもの。
簡単に、駄目とは言えないと思う。
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2008年02月15日

なんか知らんけど、最近、他人にとても興味が出て来た。
いつもいろいろな話を、誰かしらに聞かせてもらって、勉強になったり、楽しませてもらっている。
少し前まではそんなことは無かったはずやのに、今は他人とのコミュニケーションのおもしろさが分かって来たのかもしれん。


そして、コミュニケーションの中で大切なのは顔、表情やね。
今は特に笑っている顔が、興味深い。


学校にいっている分、留学生を毎日見かける。
そのなかで気づくのは、同じ笑顔といっても、明らかに自国の友達と笑っている時の笑顔は特別だという事だった。
他の国の人と、第二言語である英語を使ってだと、なんか本気で笑っている時って少ない気がする。(逆の場合もあるけど)
もちろん、時間がたって、そんな環境に慣れればなれるほど、馴染んでくるはずやけれど。

まあ言いたいことは、そんな本気で笑いあえるような関係を、いろいろな国の人と目指せたら、もっと面白いやろうなぁと思った。
posted by OJ at 23:54| Comment(1) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月08日

最近の問題

最近、自分でけっこうやばいよなーって、よく思う。

というのも、自分ってぜんぜん物を考えられんようになったなーって。



前回のブログにも書いた通り、最近は自分の周りにほぼ満足している。
家が居心地いいであったり、周りの人が面白いであったり、バレーを再開できたことであったり。
でも、そうやって周りの環境に満足するごとに、物を考えんようになってきた。

それは、このブログを見取っても分かるとおり。
以前のように、なんかわからんけど小難しいことを書いていた事が多かったのに、今では何かをした、おもしろかった、みたいなことがほとんどやし。


このままやと、やばいなぁ。
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2007年11月30日

この冬、もっぺん

あと、3週間で冬休み。
そして、この冬休みは、もう一度、鉄道の旅に出る事にする。
ちょうど2年前に鉄道でアメリカを旅行したので、
だいたいのことは分かる。

今回は、前回いけなかった北側と中央部を中心に回りたいと思っている。
まずは西海岸沿いを北上し、カナダバンクーバーまで。
それからアメリカの北側を通りながらシカゴ、そして東海岸へ行こうと思う。
ナイアガラの滝も見てみたいし。

前回からの反省といえば、荷物は極力減らす事。
そして訪れる土地について、歴史的な事とか知っておくこと。
前回は、いろいろな有名な場所を訪れつつも、多くの場所はテレビ、映画で見た事あるけど、それについて何も知らない、見たいな事がめっちゃあった。

出発がとても楽しみ。
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2007年10月01日

たまには自分のバレーのことをメインに

してブログを書いてみる。

最近、また新しいバレーをするところが見つかった。
というか、友達が誘ってくれた。

どっかの教会の体育館みたいなところで、
レベルはかなり高め。
街の大会で見た、「かなり上手い人」みたいなところが
集まっている。
その中でやれるというのはめっちゃ嬉しい。
それにしても、みんな上手くて、
ほんとうに頑張らないと、そのなかではうずもれてしまいそう。

自分は器用なプレーができるわけではない。
みんなが上げてくれたボールを思いっきり打って、
コートに入ることもあれば、
ブロックをはじいて点を稼ぐというくらいか。
今はアメリカ人であろうとも、ある程度のレベルまでは、
打ち勝つつもりでやっている。


今日、あと一ヶ月にせまった学内のバレーの大会で、
過去二年ライバルであり、今回も優勝争いをするであろうチームと話をしていた。
そのなかで、彼らは、去年うちのチームみんながすごいというサウスポーの選手が今年も出ることを聞いた。
去年はリノにいなかったので、まだ見たことは無いのだが、
みんながみんなそのサウスポーはすごいという。
今日話をして分かったのは、
そいつはなんとヨーロッパでプロとして活躍していたらしい。
そりゃすごいと言われるだけのことはめっちゃある。

でも、自分としても、
今年こうやってリノに帰ってきた分、
優勝を狙っていく。
だれにも負けるわけにはいかんのよ。
大会開始まで、あと一ヶ月。
そして決勝まであと二ヶ月弱。
それまでは、もうやれるだけのことをやっていく。
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2007年06月01日

「ぜい肉」論

「ぜい肉こそ、その人だ」
ある人が言った言葉である。

ものごとの真芯ではなくて、そのわきの一見余分なところにこそ、その人となりがでるということらしい。


この世界で生活をしようと思ったら、そして他人とコミュニケーションを図ろうと思ったら、共通部分というのをもたなければいけない。
共通する言葉、共通する考えがあってこそ、共生が出来るんだろう。

ただ、共通する部分だけじゃぁ、おもしろくないんよな。
特に最近は、他と共通する部分が多ければ多いほど生きやすい社会なもんで。


ぜい肉を持とう。もっと。
頭の中で。

人間、ぜい肉がなくなっていったら、みんな同じような体型になってまうやん。
均整の取れた体ってやつかな。
すっごい動きやすいやろうけど、それじゃあおもしろくないんよ。

ええやん。めっちゃぜい肉付けて。
付けるぶんには際限が無いから、きっと個人個人のぜい肉の付け方があって、
みんなそれぞれ違ういい味がでるんじゃない?
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2007年05月27日

僕の「いい文章」論

一、「地べた」の文書を使うこと。

「地べた」っていうのは、自分で勝手に使っている言葉だけれど、その言葉通り、めっちゃ敷居が低い分を使って文章を作ることが大きな目標。

たぶん、難しそうな語彙とか使って文章を書けば、なんか高級そうな、そして思慮深そうな印象を読者に持ってもらうことができると思うんよ。
でも、それじゃあ「文章はなんかすごそうやけど、結局何が書いてあったの?」ってことにもなりやすいわけで。
そんなときは、自分が言葉に踊らされている可能性も大。もし僕が難しい言葉で文章書いている時は、書いた本人がその物事を分かっていないという証明でもある。
それはもう僕の哲学のペーパーみたいなもので。

結局、このブログで何がしたいかっていうと、自分が考えたことを文章にして他人に見てもらうことでしょう。やから、自分の考えがあたかも高級そうに見せる必要はまったくなし。
いかに人にうまく、わかりやすく伝えられるか。
そのためには「地べた」の文章。


二、その後との関連付け

最近、僕の中ですごいと思う基準の中に、どれだけ今後の生活のなかで思い出す機会を作っているかということを見ている。

文章にしろ、映画にしろ、それを見ているときにその作品について考えるのはあたりまえ。そして、その作品を見終わった後に、どれだけそのことを思い出させることが出来るか、どれだけ読者の今後に影響を与えることが出来るかということを考えるようになった。

例えば、俺の大好きな映画「のど自慢」。
あの映画がとてもすごいと思ったのは、映画自体が楽しめただけでなくて、観た後も毎週日曜日のテレビ欄に「のど自慢」の番組を見つけたときに、何かしらあの映画を思い出すことがある。つまり、あの映画は映画という枠を超えたところがすげー。


とりあえず、今回はこの二つ。
こんな文章が書けたらいいな。

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2007年05月20日

助けられる人とか

今日、半年ぶりにリノの老人ホームを訪ねた。

これからまたお世話になりますという意味で訪れると、今日は月に一度の誕生日会。料理とカラオケがセットしてあって、そこに住んでいる老人たちとその人たちを介護しているみんなが一緒になって楽しんだ。
めずらしく僕もみんなの前で歌って、ダンスしてわいわいやって楽しんだ。



とりあえず僕は話し相手というボランティアというかたちでこの老人ホームを訪れている。人と話をすることでその人に何かしらのかたちでプラスになるものがあればと思っている。
さて、いつも考えるのが、話をしていくなかで救われているのは誰かということ。

実は、ここにきてみんなと話をしていて一番救われているのは自分ではないかということ。自分が受け入れられ、来訪を喜んでくれるのは本当に嬉しい。自分の都合に合わせていつでもそこに行って、話しをする相手がいる。僕はこのコミュニケーションを通してとても助けられている。

行けばかならず介護の人達と話をする。介護の仕事をするというのは想像以上に大変なようだ。もちろん、はなしをすれば、介護でしんどい話だとか、あるおばあさんがややこしいだとかの話題にもなる。介護している彼女たちも救われるべき存在なのだ。

介護スタッフは愚痴をいうことで救われている?
そして、彼女たちと話をすることで僕はまた訪れた甲斐を感じる。

この関係の中では、僕、介護スタッフ、老人すべてが救われるべき人で、そこには一方的に助ける側ー助けられる側という境界はない。



ここからはちょっと飛躍しすぎかもしれん。

相談を持ちかけられる人は、相談を持ちかけた人に対しては、ただ助けたのだろうか?相談をされることで、その人には「相談をされる」ということに対しての自分は頼られているという自信を得る。

もし、ある人がずっと相談をされていたのに、ある日ぱったり相談されなくなったとしたらへこむだろう。それはいままで「相談する側」だけじゃなくて「相談される側」にもプラスになることがあったという証明にならないか?


たぶん、世の中単純にいかんなぁ。



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2007年04月19日

ある人のある一日

郵便局の通信部
電報通信 タイプを打って電信
各郵便局から電報を送って、本局へそれを各郵便局へ

朝に郵便局へ行って、夜に家に帰られるかが分からない
歩いて25分
途中で、飛行機がよく通る
商店街を通っているときに、敵機の音が聞こえると、商店街の軒下へ隠れる、
そんなんしよったらあかんねんけどな、そんなんしらへん。ただ、みんなしよるから。

8月6日
あのときだけは、なんかしらんが気が進まん。仕事にいきとうなくてなー。
いつもは朝8時出勤。
でもその日は気が進まんから、家を出たり入ったり。
おばあさんに怒られた。
「K,何をしよるんや。そんなに出たり入ったり。」
「気が進まんのんや」
「そんな勝手な事、言っとたらあかん。」
それですねて、「もう今日はいかへん」ってゆって、家に入って、
畳の上に寝そべって、その瞬間に落ちたんや。

そやから命拾いしたと言えばそうやな。あれがそとにでとってみいな。
原爆の放射線かなんかにあたって。。。
そやから姉さんなんかは、軍隊の兵隊さんが着る服をこしらえとったんよ。
その日は、その前の日やすんで、友達の家に言って、原爆の日に家に帰る途中にやられたんよ。

やから、原爆が落ちた瞬間、「危ない」と思って(しゃがんで)伏せたんやって。
行った時は、前はきれいなそのまんま。ただ後ろが3分の2は焼けとるんよ。
皮膚がただれて、皮がたれさがっとるんよ。

家の中でも、物落ちよったりしてからやな。怪我ゆうか、ケロイドにになった人もおったし。
あたしはたまたまや。
奥の部屋で寝そべったもんやから、その上に屋根やかわらが落ちてきて、その下敷きにはなったけどもな。
奇跡的に助かったんや。

でも玄関はそのままあったで。
他は古い家やからつぶれたけど、玄関なんかはしっかりしとったんやなぁ。

おばあちゃんが台所におって、なんか光ったと思ったから台所をあがって、四畳半の部屋に上がろうとした瞬間にやられたんやな。

原爆が落ちた瞬間に私はびっくりして、「おかあちゃん、おかあちゃーん」って呼ぶねんけど返事が無い。
「こりゃ、えらいこっちゃ」と思って、うえに土や瓦がのっとるから、なんとかかんとかもがいてそこから出て、「おかあちゃん」って呼んだ。
まわりをみわたしたら、なんかもそもそ動きがある。板切れが。
それで、それをのけてやったら、おばあちゃんがおった。
ただ、頭うっとるから、ぼーっとしとって、何分で気づいたか分らへん。

原爆が落ちて何分経ったか。ぜんぜんわからへん。そりゃ、時計なんかはみな壊れてしもとるからな。

さて、そこから逃げなあかん。
うちは長屋に住んどって、そこから石段をあがって小高い土手をめざしたんよ。
おばあちゃんをな、連れて。
下には瓦は落ちとるは、家が潰れたんやから板切れは落ちとるはで。
その上をもう四苦八苦して、やっとちょっと高い土手までおばあちゃんつれて上がったんよ。
裸足よ。履物なんか。そんなん履物どころか。

土手はかなり広いわな。そこえ上がって。
そうなると次は川筋へ。広島は川が多いからな。
川筋に沿ってかなり広い道があるんよな。やから次はそこへおばあちゃんをつれてあがって。

もうおばあさんはぼーっとしてもて。放心状態。もうびっくりしてもたから。
「こっちや。かあさん、こっちや」ってひっぱって。
そこからかなり歩いて。そしたらそこに鶴見橋ってゆう橋がかかってるんやな。
その橋をわたったら、キジ山ってゆう小高い昔から有名な山があるんや。
そこへ逃げたら危のうないやろうと思ってやな、そんでおばあさんひっぱって。
まだおばあさんはポーってしたまんまやからな、そこまで引っ張ってやな。

ほんでやっとキジ山へ逃げたら、おばあさんが気がついてやな。
「K,どないしたんや。こんなところへ来て。」てゆうからな。
こうこうでってせつめいしたら、
「なにか落ちてきてな。ああ、これは普通ではない。空襲じゃと思うた。」っておばあさん言いよったわ。
「空襲じゃー。」って思うて。「敵機がきたんじゃなー。」っていうところまでは覚えとるって。


そんで私らは、原爆から逃げて、さあどこに行きましょうかって。だって行くとこないもんな。
そんなとき、親戚のことを思い出してな。

親戚のおっちゃんが鉄道の官舎に勤めとったんよ。

そのおっちゃんが、戦時中でものが不自由なもんやからお米を買いに朝早くから田舎まで買出しに行っとったんよ。
そうゆうわけで、そのおっちゃんは助かったんやけどな。

そやからひとに「鉄道の官舎はどこですか」って聞きもってな。やっとこさにそこにたどり着いてな。
そしたらそこのおばさんが、「まあ、あんたらよう生きとったなー。」ってびっくりしとってなぁ。
その親戚は疎開しとったから助かったんやけど、私らはまだ市街におったからな。

そこで2,3日食べさせてもらって。


そこの隣が空き家であいとったんよ。やからそこに許可なしで入らしてもろて。
それから後に手続きしたんやけどな。

それでも、困ったよー。米ひとつあるわけじゃない。
あるんは水だけよ。
そやからおっちゃんが田舎に米分けてもらいに行ってな。
でも、そんな時分はお金で、ってゆうのが出来んのよ。やから物々交換。
何かを持っていってな、それでむこうがこれなら米一升でとかな。

その時は18やったからな。着物をもっとったんよ。2,3枚な。
それを疎開させとったから、助かったわけよ。
それを田舎に持っていって、お米に変えて。
お米なんかゆうのは高いもん、あの時分はな。

それこそ、ご飯炊いたら、一粒のお米も残さへんねん。
ていねいに、ていねいに食べてな。
それもなぁ、おなかいっぱい食べられたらええけど、食べられへん。
そやからもう、始末しーもって。ほんまにえらい大変で。
おかずなんかも、もう。

それでも、おばあさんらの物なんか出してな。
それを田舎に持っていって、何かおかずになるようなもんとかに変えてきてな。
それやからおかずゆうおかずなんか、ほんま食べへんかった。
ほんでも人間、生きてきた。

今思ってもなぁ、ほんまによう生き残った思うわ。


あの時は塊が落ちたような感じやったもん。
「ああ、うちの上に落ちた」って。
後から聞いたら、みんなそう思ったらしい。
自分とこのな、家に弾が落ちたって皆思ったと。


まあ、ええわな。あの時は助かったから。
ただ、あの戦後の。
あんなときは嫌や。

原爆落ちたら、その後草木も生えんってその時分は言われとったから。
もうぜんぜん誰も人がおらへんもん。


原爆落ちて10日くらいしてから市街地に行ってみたんや。
やけどなぁ、原爆が落ちてから火災が起きて。三日三晩。
よう燃えたで。広島の街、炎でまっかっか。
そやからなぁ、もう全部焼け野原。
かなり離れとる(避難していた)官舎でも、炎が見えるんやもん。
消しに行く人もおらんかった。みんなやられとるんやからなぁ。
だから後な、行ってみると、もう何にも無い。もう全部燃えてもた。
やから、今考えてみると、助かったのが不思議なくらい。

もう逃げる途中でも、敵の飛行機飛びよったからな。
やから助かっただけでもよかった。そのときはそう思ったんよ。
でも、それからいろんな事で不自由して。食べるもんもない。
(物々交換で)変えるもんもない。

始め、田舎の人はお金はいらんって言っとった。それよりも物でって。
ただ、あとでお金で買わなあかんようになったとき、どないしたらいいかって。



原爆から逃げる途中でひとがパタパタ倒れとった。
にげよったら、腰を悪くしたか足を悪くしたか、
(ある人が、)「助けてください、助けてください」って、手を伸ばしてきたけど、
こっちは逃げるので精一杯で、人を助けるどころか。
更に、おばあさんを連れとるもんやからな、早く連れていかなあかんってゆうきがあるもんで、
「すんません、すんません。」っていいながら、おばあさんを連れて逃げたんよ。
ものの下敷きになっとるとか、はさまれとるから。
かわいそうやとは思うけど。しかも自分一人やないから。

「どうなったかなぁ、あの人ら」って、後からは思うけど。
助けてあげたいとは思ったんやけど。

あんなん嫌やなぁ。ほんまつくづくそう思ったわ。


山の方へ逃げたんわな、皆逃げよったんよ。
高いほうがええかなと思って。
あとから考えたらわからへんけど。

その時に川を見たらな、焼けた子が、焼けた人がや。
あれは熱いんやろな、体が。焼けるんやろな。
川の中に飛び込んで。


私の姉さんもな、焼けて。
体がやけとるから、「熱い、熱い」言うてな。
そりゃそうや。皮膚が焼け爛れてな。
首から下、足のほうまで人間の皮が垂れ下がって。
こりゃ、もうあかんなと思ったけどな。
それでも、6日にやられて、20日ごろまでは生きとったよ。

そのお姉ちゃんと再会できたのは偶然でな。
(わたしが)官舎におるときに、知らん人が訪ねてきて来れてな。
その人が、「あなたのお姉さんがおる」って言うてな。
今はやけどして、歩かれん状態で、どこどこにおりますって。
こうやって親切に言ってきてくれた人がおってな。
それがなかったら、会わずじまいになっとった。

それから病院に連れて行ってな。
ただ病院って言っても、一時的なところで。薬を塗ってもろとった。
ただ病院の人も、もう3分の2が焼けてしもたらあきませんって言っとった。
普通のやけどじゃないからな、原爆のは。


それでも(そのやけどから)助かった人もおるんよ。
その代わり、その人らは治ったらケロイドってゆうもんになってな。
そんなもん、段々畑みたいなん。その爆弾にやられた跡。

おねえさんが亡くなる時に、
「おかあさん、きれいなお花がさいているでしょう。きれいなお花がたくさん咲いているわぁ」って言うから。
そやからおばあさんも、
「これはK,おねえさんはもうあかんわぁ。」って。そんなこと言い出したから。

そんなん見てみ。あれはなぁ。助かったのが不思議やと思うわ。


ああ、もう思い出してもゾッとするわ。
あれから60年が経っとるんやけどな。

今になっても原爆の検査に行きよるしな。


なかなか口ではうまくあらわされへん。あの体験はな。
もう二度とああゆう目にはあいとうないと思うだけで。


posted by OJ at 13:51| Comment(2) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月26日

アメリカで気づいたこと(一年半の復習4)

アメリカに来て今まで出気づいたことについては、英語という言語の壁によっての不自由を感じつつも、生きるということについてけっこうな自由があるということでした。

自由というのはアメリカの代名詞のように捉えられ、いくらかの人はアメリカだからこその自由だと思うのかもしれんけど、俺はそうは思わんのよなー。場所がどこであれ、自分が本当に望みさえすれば、難しさの程度はあるにしたってかなりの自由が手に入ると思うよ。

ようは自分次第。
それと、どこまでいごこちのいい今の環境を切れるかどうか。
posted by OJ at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月24日

この一年半の復習3

現在、「場所=価値」っていう価値観は強いように感じる。例えばアメリカにいるからすごいとかどうとか。そりゃ、場所によって多少は変わってくるけど、例え同じようなことをしたとしても場所が違うだけで、必要以上の価値をみるというような傾向があるように思える。例えばマクドに行くにしても、ラスベガスのマクドに行ったとう話しだけでもけっこうな価値を見出すようになったんじゃないあろうか。ただハンバーガーを注文したというだけなのに。
そうやって違う場所にいるということで何かすごいことに思われるのかもしれないけれど、自分はそれで満足したくない。
posted by OJ at 01:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この一年半の復習2

この前、アメリカ人の友達に頼まれて漢字を書いた。その友達はたいそうそれを気に入って、コースターの模様にしている。それは嬉しいのだけれど、いつもそれを見て思うのは、すっごいきたない字やなぁって。でも、友達はそれを見てかっこいいと言う。日本に居れば僕が紙の上に書いた漢字なんてものはまったく価値がない。しかし、たいした価値のないものも、場所によれば「ある程度価値のあるもの」になる可能性は高い。日本で高級とされる外来品のいくつに本当の価値ってあるんかな。
posted by OJ at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この一年半の復習1

日本を離れ、一年半がたつ。
その間にいったい何を学んだか。

まず大きいのは、自分が何もできないということを知ったことだと思う。何をする上でも言葉ができないということに何度も出会う。分からないから助けてもらわなければならない。そんなことを何回も経験した。

今までいくつか区切りというものがあった。たいていはどこか違う場所に行くということが多かったけれど。そんなときによく言われたのが、僕の英語はその人と出会ったときに比べて上達したということ。もしくは、初めてあったときに比べて、とても英語がはなせるようになったね、と。それを聞くといつも思うのが、今も自分はたいした英語を話してないのにと。そんなものだから、もし本当に上達しているのならば、その出会った当初というのはどれほどひどかったのだろうか。
まあ何にしても、成長というのは人に言われて初めて気づくことは多い。
posted by OJ at 01:56| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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