2007年08月03日

なんでバレーが好きか、そして勝ちたいのか

ほとんど毎日のようにバレーをして、
そのためにトレーニングをして、
普段おとなしい自分がバレーのときはちょっと違って、
自分の感情を出して、
ミスをすれば自分にも他人にも腹を立て、
いつものようには感情が自分で制御できなくなったりして、
負ければ試合後少しの間めっちゃ沈んでいて、
めっちゃ悔しい思いも数多くしてきて、
それでも相変わらず毎日のようにバレーをする。

そのことについて最近少し考えた。

まず、こんな自分がずっとバレーを続けてこれたのは、
こんなに勝手な態度をとる自分に、愛想をつかさず仲間でいてくれたチームメンバーのおかげだ。


そして、どうして自分がずっとバレーを続けていきたいと思ったか。

それは、一つ前の話にあったようにまた、「形」と「本質」ということが大きく左右しているように思う。

スポーツって、普段の生活から比べればたぶん少し特殊な環境で、普段見えにくい「本質」が少し見やすくなっている場だと思う。

この場合は、
「形」=その人の見た目。身長、体型。
「本質」=実力。

例えば、バレーに関して言えば、ガタイがすっごいいいとか、身長が高いとかが、「形」の面では優れている。
けど、実際プレーしてみたら、もちろん、その「形」がいい奴が必ずしも上手い、実力(「本質」)が伴うというわけではない。

つまりスポーツというのは、ある意味、見える形ではあるけれど、「本質」で勝負できる場所なんだと思う。

自分のこれまでの人生は、幸か不幸か、「形」によって、自分の実力以上のことを他の人から評価してもらえることが多かったように思う。
(例えば、何にも考えてなくてぼーっとしている時に、風貌や哲学を勉強しているといったような「形」を評価の基準として、「彼はたぶん何か考えている」みたいな感じで。)

だけどバレーをしているときは、自分のバレーにおける「実力」(「本質」)というのは、見ればすぐに分かってしまう。その時だけは、自分は自分の本質そのままを人から、そして自分から評価されるときなのだと感じている。
「形」のない自分。
「本質」としての自分。

今までの人生の大半を、「形」として勝負してきた自分にとって、「本質」だけの勝負の場にいれば、自分は追い込まれるし、そして本質を伸ばすしかないと実感する。
本質を鍛える場所であり、判断基準となるトレーニング、バレーにおいては、こだわらざるを得ない。
そして、もちろん、試合内容が大切ということは重々承知の上で、バレーの試合で「勝つ」ということも自分にとってはとても大切な基準のひとつになっている。
posted by OJ at 05:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 生き方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
最近のトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。