2007年05月20日

助けられる人とか

今日、半年ぶりにリノの老人ホームを訪ねた。

これからまたお世話になりますという意味で訪れると、今日は月に一度の誕生日会。料理とカラオケがセットしてあって、そこに住んでいる老人たちとその人たちを介護しているみんなが一緒になって楽しんだ。
めずらしく僕もみんなの前で歌って、ダンスしてわいわいやって楽しんだ。



とりあえず僕は話し相手というボランティアというかたちでこの老人ホームを訪れている。人と話をすることでその人に何かしらのかたちでプラスになるものがあればと思っている。
さて、いつも考えるのが、話をしていくなかで救われているのは誰かということ。

実は、ここにきてみんなと話をしていて一番救われているのは自分ではないかということ。自分が受け入れられ、来訪を喜んでくれるのは本当に嬉しい。自分の都合に合わせていつでもそこに行って、話しをする相手がいる。僕はこのコミュニケーションを通してとても助けられている。

行けばかならず介護の人達と話をする。介護の仕事をするというのは想像以上に大変なようだ。もちろん、はなしをすれば、介護でしんどい話だとか、あるおばあさんがややこしいだとかの話題にもなる。介護している彼女たちも救われるべき存在なのだ。

介護スタッフは愚痴をいうことで救われている?
そして、彼女たちと話をすることで僕はまた訪れた甲斐を感じる。

この関係の中では、僕、介護スタッフ、老人すべてが救われるべき人で、そこには一方的に助ける側ー助けられる側という境界はない。



ここからはちょっと飛躍しすぎかもしれん。

相談を持ちかけられる人は、相談を持ちかけた人に対しては、ただ助けたのだろうか?相談をされることで、その人には「相談をされる」ということに対しての自分は頼られているという自信を得る。

もし、ある人がずっと相談をされていたのに、ある日ぱったり相談されなくなったとしたらへこむだろう。それはいままで「相談する側」だけじゃなくて「相談される側」にもプラスになることがあったという証明にならないか?


たぶん、世の中単純にいかんなぁ。



posted by OJ at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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