2006年03月26日

ひとこと「国際交流」

国が違えば、考え、ものの見方、歴史背景などにおいて違ってくる。

時にはそれがとても大きくもあったりする。


本当の意味での「国際交流」ってなんやろうね?

お互いの痛いところを見ないふり、

もしくは無視して楽しく話をすることなのか?


それぞれの意見をいろいろな手段の中で押し付け・押し付けられながら

そうして妥協点を探していくことなのかな?
posted by OJ at 02:14| Comment(4) | TrackBack(0) | ひとこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お互いの痛いところを探らないでうまく付き合っていくのは、
けっこう大事だと思う。悪くない。人間関係でもそうじゃんね?
でも、そのままで続けられるものは脆く儚いよ。
大きな曲がり角で、お互いの足並みが揃わずに曲がりきれない みたいなね。
「押し付け・押し付けられながら妥協点を探していく」っていうのは正しいけれど、違うんじゃないかって私は思う。お互いが聞く耳を持ってないと本当の「かかわっていく」という関係は成り立たないし、意見を交換してみてそれで納得するように探るorあわなければ取り入れないっていうだけじゃないのかな。
人生も「人間・国際関係」も 毎秒知らぬうちに取捨選択していると思う。今、言いたいことをうまく文字に記すことができなくて、伝わらなさそうで、私はモヤモヤしてるけど。

お互いが興味をもつ、っていうところから始まるんじゃないかな。じゃないと、関係ははじまらないし お互いに興味があればどんなカタチであれ 関係は続いていくと思う。長期戦になりこそすれ、人と人、国と国が理解していくには時間がかかるからね。あせっては駄目だと思うんだ。
Posted by 具志堅 at 2006年03月26日 13:14
たしかに難しいね。 特に最初の頃はお互いいいことしか聞かないんじゃない? でも少なくとも私は外国人の人から見た(思った)日本像ってゆーのを、率直な気持ちで聞きたいなぁ〜。 たとえそれが日本を非難することであっても、そこで一緒に考えられれば同意できなくても何か自分の中でも新しい物の見方ができるんじゃないかなぁって。 そこまで深くなりたいな♪ それに日本のことを聞いてくれるってことは、少しでも興味を持ってくれてるってことだから、何か嬉しいじゃん?

私にとって国際交流とは(人間関係とかもそうかもしれないけど)、理解しようと(努力)する、歩み寄る(お互いの話に耳を傾ける)ことかな?
Posted by Mizuho at 2006年03月29日 12:00
目的にもよるのだけど、うちにとっての国際交流の基本は
相手が自分とは違う価値観を持っていることを知ることだと思います。
何が違うか、どう違うか、なぜ違うか・・
そういう「違う」を体験したり発表しあったりして知る、
そういう機会を作ることがうちなりの国際交流に対する考えかな。

ついでに言うと、国民性の表し方を探すことって、
自分にとっても国の文化を知る機会だし、それが自分の特技になれば
ますます自分がその国の国民であることに誇りが持てるようになるね。
着物の着付けとか、和食とか、うちならもちろんお芝居で・・とか。

知った「違い」を受け入れられるかは個人の好みだけど、
知らなくては好きか嫌いかも判断できないし。
とりあえず仲良くすることが交流なんじゃなくて、
知ろうという姿勢で違いと向き合うことが本当の交流なんじゃないでしょうか。
Posted by 理栄 at 2006年04月02日 12:56
異文化間・異人種間の相互理解ははっきり言って不可能だと思ってます。

戦争をなくそうと言ってるのと同じで、数千年に渡って不可能だったことが今さら可能だとは思わない。

でも、知ることはできる。

無理してお互いを理解する必要はない。

みんなそれぞれの文化や習慣、価値観や言語に誇りを持って生きている。

それと異なる他文化を尊敬できなかったり理解できないのは当たり前のこと。

だから俺が考える国際交流は知ること。

1つの知識として頭に置いておく事だと思う。

そうすれば余計なトラブルは避けられるし、海外での生活も楽になる。
いわゆる道具として他文化知識を与え合い、覚え合う。
これが俺の国際交流。

納得できなければ相手の考えや文化に尊敬を示す必要はないし、自分の人生に反映させる必要もないと思う。

これは俺にとっては個人レベルでも同じこと。

賛同できなければリスペクトは生まれないし、それが俺に影響を与えることもない。

ただ話を聞いて「そういう考え方も存在する」というひとつの知識として頭に残す。

無理に理解しようとすればするほどそこには歪みが生じると思う。

誤解・相違・不一致・・・

譲り合ったり、押し付けあったり、結局のところ理解しようとすればするほど、歪み、亀裂を生み、惨事を招く。

だから、主観的に文化代表として理解を求めるのではなく、また他文化に流されるのではなく、客観的に知識を得るというスタンスが最も合理的な国際交流だと考えます。
Posted by Yoshihiko at 2006年04月16日 06:34
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