2006年01月29日

宗教について

今日は少し宗教について考えてみた。

「何かを信じる」ということが根本で、それが強くなって、

そして独自の世界観を作り上げたものが「宗教」という考えだと思う。

また、その考えにおいて、数多くの賛同者を作り上げたものが

さらに独自の世界観を強固にさせていくのだと思う。

外部に及ぼす影響も強くなるだろうし。

そのためには多くの人の共感を得ることが必要なのだろうと思う。


キリスト教は、「汝の罪を認めよ。そうすれば救われる。」と説き、

多くの人は、「ただ罪を認めるだけでいい」という、

身分や財産などが一切関係無く、信じるだけで救われるという敷居の低さから

人々の共感をよんだとも言えるのではないかと思われる。


そこで考えた。

ここで、「その人が人生の中で何をしようとも、必ず全員救われる」

という基本理念をもった宗教を作ればどうなるのか?

こんな理念を持った宗教がいままで存在していたかは知らない。

確かに敷居はもっとも低い。だって何も指定はないのだから。

何をしていたとしても、その人は救われるのだ。

この敷居の低さや、都合の良さからこの宗教は多くの信者を生むのだろうか?

もしくは人は例え罪を認めるか認めないかといった小さな差でも

(これは自分だけの問題であり、「認める」と決めるにしてもそれほど大変では無いような

気がする)、その「信者」と「そうでない人」が分けられるくらいのラインが引かれている

ものにこそ惹かれるのだろうか?

もしそうならば、人は「人類全体が幸せになればいいのに」という考えよりは、

「できるだけ多くの人類が幸せになればいいのだけれど、ただこれだけは守れよ。

俺はしているから。」

みたいな、どこかで自分の行動を肯定するために、そうではない人との対比を

必要とし、そこになんらかの幸せを感じる生き物なのかなぁ?





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posted by OJ at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | トイタイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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