2008年12月29日

『シーシュポスの神話』ー カミュ4

やるか、やらされるか。

この世界における不条理性とは、自分の意思に関係なくやらなければいけないことがあるということ。

やらされている段階は、運命に引きずられている状態。

そもそも、運命とは、自分がいてはじめて発生するもの。(人を起源としている)


例として、『シーシュポスの神話』をあげる。

1.あらすじ

神の怒りをかったシーシュポスは、重たい岩を山の頂上までもちあげなければいけないという刑罰を課せられる。
しかし、岩が山の頂上につくとその重みで岩はふもとまで落ちてしまう。
その岩を永遠に頂上へと持ち上げるという神からの刑罰をうける。
「どうせ岩を上げても落ちてしまうだけ。自分のやっていることは意味無い」
でもそれを永久にやらされるという神の意図した刑罰にくるしむが、その宿命を受け入れた瞬間から、シーシュポスにとってこの刑罰は悦びに変わった。。



2.解釈

はじめ、シーシュポスは、運命に流されている。

これは自分の外からの力で決まった運命ともいえる。
というのも、運命は理解不可能なもの。論理で説明できないもの。なぜなら、運命というのは、人間以上のものであるので、神々によってもたらされたものであるから。
もしくは、この「運命」というのは、現在社会でいきていくうえでの制約やルールと置き換えてもいいかもしれない。



しかし、そこで彼は岩を運ぶ事が彼の使命であると受け入れ、それを遂行しようとする。
その時点から、岩を運ぶという事は、彼が行った結果となる。
しかし、その運命を不条理として、認識、取り込む。自分がいてはじめて「自分の運命」がなりたっていると気づく事が出来れば、運命は自分の下に来る。
「自分があって、そして運命がある」−「人生は自分のもの」−「自分の重要性に気づく」―「人生は自分が築いている」
つまり、運命は彼の後からついて来るようになる。

カミュはこの作品の中で、「それぞれの運命があるにしろ、人間を超えた宿命などありはしない」と書いている。

でも彼が岩を運ぶのを続ける事を「やる」と思ったときから、この世界は外から与えられたものではなくなる
彼がその世界をつくるようになる。そのため、この世界は彼の意思のものであり、くだらないものではもうない。
それはこの世界で生きるうえでの喜びとなる。


もちろん、岩を運ぶのはしんどいこと、嫌な事というのは変わらない。やらなければいけないことは変わらない。

苦しみは「生きたい」(地上への情熱)(p212)という自分の情熱を前提にしてある。
「生きる」=運命を背負うという事。
なので、どうしても運命から逃げることはできない。
そのときに、運命にいやいや従うか、運命はそもそも自分のものであると認識して、それに立ち向かうか?

人は、やりたい事だけではなく、やりたくない事柄でもそれをすすんでやる人にこそ、かっこよさを見るように思う。


ここで小さな例をあげておく。「アイスを買って1ドル払う」

アイスを買った時点で、1ドル払うのは義務。
万引きという事も考えられなくはないが、その代償からみて選択肢からははずす。

さてここで、その1ドルを払うのか、払わされるのか?(やるか、やらされるか?)
願望としては、払わないのがベストだが、自分の思いとは関係なく、「1ドルを渡す」ということをしなければいけない。

ここで「払わされた」場合、
それは外からのルール、(運命)にしたがって行動した事になる。
言い換えれば、「1ドルを払う」というシナリオがあって、それ通りにうごいただけ。(運命に自分は動かされた。)
これは運命に対する「あきらめ」ともいえる。

ここで「払った」場合、(不条理を認識した場合)
まず、自分は、「1ドルを渡す」という状況に置かれている事を認識する。それがたとえ自分が渡すのを嫌がっても、渡すという状況にあることは変わらない。

自分は、「1ドルを払う」という状況に、「それでいい」と思う。
「それでいい」と思い、1ドルを渡すと、それは自分の意思によって動いたことになり、運命は自分の意思のあとについてくることになる。
自分の意思によって、「1ドルを払う」という行動をする。(世界は行動の集合体でできている)

「1ドルを渡さなければいけない」という状況があったとして、それを理解してその宿命を「やる。それでいい。」と思った瞬間から、自分は自分の意思に従って動くようになる。
これは「あきらめ」とは違う。



そもそも、運命とは、自分のために用意されているものである。
自分の存在がいてはじめてその「自分の運命」というものが作られる。

運命にふりまわされてはいけない。
そして宿命に立ち向かっていく姿こそ、英雄の姿である。
posted by OJ at 17:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 実在主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
シーシュポス読みました。とても読み応えがありました。
Posted by ちょん at 2009年01月08日 15:03
わざわざよんで下さったんですか、ありがとうございます。
たった8ページに内容がめちゃくちゃ詰まっていますよね。

僕はまだ、その本に入っている「不条理な人間」の章の途中です。なかなか読み解くのが難しい。。。
Posted by OJ at 2009年01月14日 05:19
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